2025/07/20 00:00
特に昨年末から今日まで
選択の連続だった。
選択ということには2種類あって
具体的にこれを掴んでいく
という積極的選択と
積極的選択ができずに日々に埋没し
結果、積極的選択をしなかったが故に
自然と訪れた結果を受け入れる
という消極的選択の2つ。
「選べない・選ばない」
ということを選んだ、という選択。

日々のほとんどは時間と季節の早さの中で
消極的選択が積み重ねられて
日々とは、日常とは、消極的選択のこと
とも言えるかもしれないのだけど
選択事項が常に思考の俎上にあって
消極的選択という項目がない選択の日々だった。

その中には
一つの選択をしたことで引き寄せられた
新たな枝分かれの選択もあって
この選択の結果がどこに向かっていって
何が導き出されるのかを予測する暇も与えられない
突きつけられもたらされる選択に
敏感になった意識が常に捉えられて
その時の嗅覚頼みみたいな事ばかりだった。

選んだ結果と選ばなかった結果は
同時に存在することはできないので
進んだ道の先での後悔というのは全くないのだけど
とにかく一つ選べばその選んだ結果にまた
向かい合う選択が用意されているという
たたみかけるような
試されているような日々だった。

いくつかは結果が出て
いくつかは結果待ち
いくつかは違う時系列で保留され
そして新たな選択に翻弄されている。

…でもまあ日常などというものは
なんということもなく知らぬ間に選択して
なんということもなく知らぬ間に選択せず
思い返してああ細胞は全部入れ替わったんだな
ということに気づくということなんだろう。
そう思えばこの17年という日々も。