2024/11/28 15:04
新潟の鯨波に海水浴に行った夏休み。
父と母が運転する車の後部座席で
少し秋を感じる色の太陽の
夕暮れ空を眺めながら
小6の私と小4の妹、小1の弟は
遊び疲れて揺られていた。
ポーッとしながら眺める車の窓から
空の高いところにスッと
浮浪雲がごく淡いピンク色で
太陽に照らされているのに気づき
その淡く儚げな美しさに
「ねえ見て見て
あそこにすごくキレイな雲が出てるよ」
とみんなに伝えた。
「ああほんとだ
今にも消えそうだけどキレイだねぇ」
と父母や妹が穏やかに応える中
弟は
「え?どこどこ?どこに?」
と繰り返した。
「ほらあそこ。あの上の方の
筆でシュッとしたみたいなやつ」
と指差した瞬間
ハッとして口を黙み
その後すぐにその淡い雲は
夜の始まりの青にのまれて見えなくなった。
小学生になって初めて受けた集団検診で
弟は赤色の色弱と診断されていた。
小学生でも長女というのはなにかと
母の話し相手や相談相手になったりするもので
そう話して聞かせてくれたのを思い出したのだ。
あの色とりどりの丸で数字が書かれた検査で
弟が赤色が見え難いと診断されたことが
言葉ではわかっても
実際にどういうことかがわからなかったのが
この夏の海へのドライブで理解された。
その後その出来事は日常に埋没し
浪人した末に進学した
大学の哲学科でソシュールの
「シニフィアン・シニフィエ」という
言語学用語に触れた時に
そこからの派生として
色弱の弟とのこの出来事が
強烈にフラッシュバックした。
私の見ている色が他の人が見ている色と
同じとは限らないという
当たり前にあると思っていた前提が覆る時の
この立ち竦む感じ。
自分の色についてどんなに説明しても
そもそも私が見ている色と違うのであれば
どんなに言葉を重ねても
私の「その色」を
伝えることはできないという茫然。
この出来事は折に触れて思い出されるものの
今ではこの寄る辺のないような
伸ばした手が何も掴めないような
フワフワとした感じも
可能性の無限さや
それによって形作られている
多様性の面白さに置き換えられて
私の知り得ない感覚や感性とか
それぞれにとっての実際と事実があり
正しいとか間違っているとかを超えた
広がりがあるという理解の一助になっている。
ちなみに進路に制限があるかもといわれた
弟は後年アメリカに渡り
モーターサイクルの学校を成績優秀で卒業し
ハーレーダビッドソンの
オフィシャルエンジニアになった。
今は友人たちに囲まれて
粋な立ち飲み屋で泥臭く立ち働いている。
やりたいことをやっていく弟の進路に
昔も今もなにも支障はない。
私に見えているこの
カンテラオパールの虹色は
あなたにはどう映るだろう。
私と違うあなたの虹色も
きっと美しいことでしょう。